音メディア処理研究室

 
2017年度修士論文

非負値行列因子分解を用いた音源分離における初期値設定の研究

背景・目的

音響分野には様々な研究がありますが、本研究では複数の音源が含まれた観測信号から目的音を取り出す技術である「音源分離」に着目します。下図のように複数の音源が含まれる観測信号に音源分離を適用することで、各音源ごとに抽出することができ、カラオケ音源の作成や自動採譜が可能となります。


音源分離は様々な手法が提案されていますが、ここでは多チャネル非負値行列因子分解(MNMF)に着目します。MNMFはマイク数が音源数より少ない劣決定条件において使用可能な手法であり、高精度に音源分離が可能です。しかし、従来のMNMFは自由度の高いモデルであるので、ランダムな初期値によって分離性能のばらつきが大きな問題となっています。本研究では、あらかじめ初期値を与えることで音源分離性能の向上・安定化を図ります。MNMFのアルゴリズムや挙動解析、問題点等は過去のページを参照ください。

https://www-ai1.csis.oita-u.ac.jp/?page_id=538
https://www-ai1.csis.oita-u.ac.jp/?p=1946

提案手法

提案手法として、他の音源分離手法で得られた分離信号から、基底行列Tと空間相関行列Hを計算して、MNMFの初期値に設定します。ここでは以下の2種類の手法を用います。

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・音源方向が既知と仮定:バイナリマスク
・音源数とマイク数が同数と仮定:独立低ランク行列分析(ILRMA)
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バイナリマスクとは、マイク間の位相差を用いてマスク関数を構築し、騒音を抑圧する手法です。例えば2チャネルで録音された観測信号において、目的音が正面方向(0度)にある場合、マイク間の位相差は0となります。そこで、マイク間の位相差がゼロから離れた時間周波数ビンのパワーを削減することで正面方向の音を取り出すことができます。バイナリマスクはMNMFと比べて分離性能が劣りますが、数秒で処理が終わる利点があります。

ILRMAとは、IVAによる空間モデルの学習とNMFによる音源モデルの学習を交互に行うことで、MNMFに比べて安定かつ高速に分離できる手法となっています。ただしIVAの制約から、マイク数が音源数より多い優決定条件(特にマイク数=音源数)となる環境でしか用いることができません。

MNMFの空間相関行列Hは、各手法で得られた分離信号に対してクロススペクトル法を適用することで、計算することができます。バイナリマスクを用いた初期値設定における基底行列Tは、分離信号に対してNNDSVD法を適用することで、計算することができます。また、ILRMAを用いた初期値設定における基底行列Tは、ILRMAで最終的に得られた基底行列TをそのままMNMFの初期値に設定することが可能です(この手法はILRMAを提案した論文に記載されており、従来のMNMFと比べて分離性能が向上することが分かっています)。

以下に本手法におけるフローチャートを示します。

提案法の評価

以下の図のような環境で収録されたインパルス応答に音楽データを畳み込むことで評価用の観測信号を作成しました。Source1にはギター、Source2にはシンセサイザーの音が対応しています。評価値には音声と歪みの比を表すSDRを用います。今回は各手法ごとに10回ずつ分離して平均値を評価値としました。

以下の図が実験結果となります。緑がランダムな初期値である従来のMNMF、青がバイナリマスクの分離結果から各初期値を求めた場合、赤がILRMAの分離結果から各初期値を求めた場合となっています。また、エラーバーは分離結果のばらつきを表しています。この結果から、バイナリマスクを用いた初期値設定では空間相関行列Hを、ILRMAを用いた初期値設定では基底行列Tもしくは空間相関行列Hを計算することで、従来のランダムな初期値より分離性能が良くなっていることが分かります。ただし、ILRMAを用いた初期値設定では、従来の基底行列Tの計算だけで十分な分離性能が得られていることが分かります。

これらのことから、音源方向が既知である場合はバイナリマスクを、マイク数と音源数が同じである場合はILRMAを用いた初期値設定を行うことで、従来のランダムな初期値と比べて分離性能が向上・安定化することが考えられます。今後の課題として、音源数とマイク数を増やしたり、残響時間を長くしたりするなど、難しいタスクにおける評価を行っていく必要があります。

まとめ

本研究ではMNMFの初期値依存性に着目し、あらかじめMNMFの初期値を計算することで、MNMFにおける分離性能の向上・安定化を図りました。初期値設定にはバイナリマスクを用いた手法とILRMAを用いた手法の2種類を提案し、評価実験を行いました。その結果、どちらの手法においてもMNMFの分離性能が向上・安定化することを確認しました。このことから、音源方向が既知である場合はバイナリマスクを、音源数とマイク数が同数であることが既知ならばILRMAを用いて、MNMFの初期値設定することが望ましいと考えられます。